想像力の欠如

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昨日、写真撮りにクルマで走り回ってる最中にとんでもないドライバーがいました。本気で正気の沙汰とは思えないことをやらかしてた。

押しボタン信号で赤に変わった信号で止まった先行する車を、ものすごいスピード(多分7,80km)で追い越しかけてったの。押しボタン信号が変わったってことは当然、道路を横断しようとしていた歩行者がいたってことで...。

恐らくは本当にたまたま、歩行者が信号変わってすぐには横断を開始しなかったおかげで事なきを得ましたが、あれ、普通に信号変わった直後に横断を開始していたら、間違いなく轢き殺されていたと思います。

こっから先は推測に過ぎませんが、もしあのドライバーが信号を見落としていたのだとしたら、それこそ致命的な運転する上での資質の欠如ですよね。最重要の交通標識を見落とすなんて、そんなことやられたら全ての前提が崩壊しちゃう。

そうでなかったとすると、ああいうタイプのドライバーって、とんでもないミスをしでかしても「事故にならなかったんだからいいじゃん」の一言で済ませちゃう人なんじゃないの?って想像します。

本当ならそこで、普通に歩行者が横断してきて事故になった可能性を想像して、青ざめて冷や汗垂れ流すレベルの「重大インシデント」だと思うんですけどね、わたしは。

いっこうになくならないいじめ問題で、どこかの子役がいじめる側の「想像力の欠如」を問題点として指摘していましたが、いじめ問題に限らず、上に書いたようなおかしなドライバー等々、多くの今の社会の問題になってる事柄において、致命的に欠けてるのは当事者の「想像力」のなさなのかなぁ、とちょっと思うのでした。

自分の行いが何をもたらすのか、そこをもう少しだけ思い描くことが出来るなら、多くのあれやこれやが問題に成長することなく終わらせられてるんじゃないのかなぁ、と。

もちろん、この言葉の指す先にはわたし自身も含めて、ね。