ツイッターは失言するべくして失言するメディアである

  • 投稿日:
  • by
と、言うのがわたしの今のツイッターへの見方です。
実際に参加せず外部から眺めているだけなので、恐らくは偏見混じりになってると思いますが。

ツイッターのおもしろさのかなりの部分は、推敲しない生の文章によるライブ感、みたいなものがあると言うのが今のところのわたしの感触です。

十分な推敲をしない、ということは、元々失言する可能性をはらむメディアなのだろうなと。

もちろん人によっては限られた文字数の中にいかに上手い文章を作り込むか、といったことで徹底的に推敲した文章を投稿する人もいるのでしょう。でもそういう投稿だけには見えません。

何気なくオープンでつぶやいてる人たちみんなが、つぶやいた内容を誰でもが見ることのできるものである、ってことの意味をわかってつぶやいているようには見えないんですよねー。

思いがけなく自分のつぶやきが原因であれやこれやを「炎上」させて慌ててアカウント削除、とか言ったのをあちこちで見かけてしまうと。

こういうの見てしまうと、「覚悟」が足りないよなぁ、と思ってしまいます。

別に何を言ったって構わないと思うんですよ。
ツイッターに限らず、blogでもSNSでも。
でもその発言を見た人がその発言に対してどんな言葉を返すのも自由ですから。

どんな反応が返ってきたとしても、元は自分の発言です。

わたしはそこまで何もかもを受け止めきれる自信はありませんから、これからもツイッターに手を出すことはないと思います。