(元)うつ病患者の独り言 for はてなさんの「[Monologue]書いた記事を安易に消す人へ」というエントリが面白いなぁ、と思って自分のことを考え直してみました。
わたしはこの記事のタイトルの通り、blogを一度完全リセットしています。過去記事を完全に消去しました。
まあそれは自宅鯖のハードディスクが完全に寿命を迎え、データベースのバックアップを取ってなかったためにblogの復旧が困難になった、という事故がらみではあったのですけれどね。
結論から言いますと、わたしにとってはblogにログとして残ったテキストは、別に重要なものではなかった、ということです。なくても全然困らない。
わたしにとってはblogの文章を書くための過程こそが全てです。その文章を書くために考え続けた時間が重要。自分の厚みやアイデンティティというものを形作るのは、その考える、という行為そのものであって、形になってしまった文章自体ってのは大した意味はなかったのです。
まさに備忘録、ライフログ、それ以上の意味はありませんでした。
だから消えてしまっても、今まで困ることは一切ありません。
まあ、自分の発言に後々まで責任を持つ、と言う意味ではログを残して置いたほうが間違いはない気はしますけども。
だから、わたしは過去ログを消すことと自分のアイデンティティを消す、ということを結びつけて考えることは出来ないかな。過去ログは全く初見の他人に自分の有り様を示す要素にはなり得るかもしれない、とは思いますが。
わたしはblogに「作品」を作ろうとしているのではありません。
blog(今は私的SNSでしかそういうことはやっていませんが)に並ぶテキストはわたしにとって見れば、思考の過程で生じた残滓に過ぎません。わたしが積み重ねてきた自身の「地層」はわたし自身の中にだけあるもの、だとわたしは思います。
HAL
HALです。
トラックバックありがとうございます。記事、興味深く読ませてもらいました。
azureさんのBlog全消去は、僕が書いた記事の「頻繁に消去」にはあたらないと想いますし、azureさんの考え方も理にかなっていると想います。僕の考えを否定するものでは無いし、僕やazureさんとは違った考えの人が居ても当然かと。
僕も別に文筆家を目指してるわけでは無いですが、僕の過去Blog記事を検索して見に来る人が少なからず居ます。
見に来てくれた人にとって有用な記事を書けたのなら、素直に嬉しいし、それが僕のアイデンティティーの一部になっているのかもしれません。
azure
コメントありがとうございます。
そうなんですよねー、こういう在り方についてそれぞれの人ごとにそれぞれの立場がある、っていうのが本当なんだと思います。
過去ログを検索して役立ててもらえる可能性が失われた、っていうのは確かにちょっと残念ではあります。
ただblogの復旧がほぼ不可能と分かったときに、ああもういいや、と思っちゃったのも事実なんですよね。blogを書き続けて積み上げてきた故に痛い思いをしたことがあったのもまた事実でしたので。
今の自分としては、自分の中に積み重ねてきたものが残っていることが分かれば十分、といった感じですね。
また考えるネタを提供してもらって感謝しています。(^^)